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電話線は怒りで燃えそうな勢いだったという。
一二月四日、M議長ら「四人組会議」のメンバーは、J大統領がいる牧場に召集された。 さすがのMも緊張していたのであろう。
牧場に着いたMを、B大統領夫人は次のように励ましたという。 「あなたの良心がためされています。
自分が正しい道にいると自信を持ちなさい」。 大統領はMに会うや否や、余計なことは一切言わずに、猛烈な勢いで罵倒を始めた。
「お前は私に剣を突きつけた。 お前は私をだました。
お前は自分が卑劣なことをやったということを知るべきだ」。 Mは、合衆国大統領を侮辱しないように留意しつつ、毅然と反論している。
「あなたは大統領であり、私はブドウ園の単なる一労働者です。 今回理事会は私を支持しましたが、四対三でしかありませんでした。

私は決して私が正しくてあなたが間違っているとは申しておりません。 しかし、私は、連邦準備法が金利に対する責任をFRBに与えているということに対して強い信念を持っています」。
きではないかと主張した。 利上げを主張するM議長らとの間で議論は分裂した。
結局、投票結果は四対三となり、かろうじて利上げが決定された。 Jは大統領就任中に、これほどの断固たる言葉を人から聞かされたことは他になかったという。
世論がFRBの判断を支持したこともあり、その後、JはMに報復しなかった。 結局、J政権はFRBの独立性を受け入れている。
しかしながら、そのM議長もN大統領の恨みには勝てず、屈辱的な形で退任に追い込まれている。 N大統領は一九七○年の中間選挙を意識して、一九六九年一○月にMFRB議長をホワイトハウスに招き、金融引き締めを止めるようにMに迫った。
しかし、彼は「大統領、私は何度も統計にだまされてきました。 インフレのモメンタム(勢い)は夏の中ごろに落ち着きましたが、インフレ心理は再び高まっています。
あなたは選挙の時にインフレ率の高騰に直面したいですか?それともオーバーキル(引き締め過ぎ)に直面したいですか?私はインフレにつながるアンダーキルのリスクのほうが大きいと考えています」と正面から反論した。 Nは、一九六○年の大統領選挙でケネディに敗退した際、その原因はM議長がケネディ陣営に協力したことにあるとして長らく彼を恨んでいた。
それもあって、ホワイトハウスは任期が訪れるMの再任を認めなかった。 当時、利下げを主張していたA・Bを次期FRB議長に指名する。

しかも政府は異例に早い時期に次期議長の任命を公表した。 一九七九年にK政権から任命されたP・Bは、劇的な金融引き締め(マネーサプライMをターゲットとする量的引き締め)を実施して、インフレ・ファィターとしてのFRBの名声をカムバックさせた。
しかし、インフレ率の鎮静化に伴ってリセッションも深刻となった。 一九八○年一○月にK大統領が発した言葉は、B議長とK政権の"蜜月の終わり”を示唆するものとなった。
Mはインフレ率の上昇を許してしまったことを嘆きながら失意のうちに退任している。 しかし、彼の在職期間はFRBの歴史上最長である一九年間に及んだ。
FRBは彼に敬意を表して、ワシントンの本部ビルのひとつに"M・ビルディング"という名称を付けているその後、J・K大統領は一九七八年に再任を望んでいたB議長を指名せず、代わりに政権にきわめて従順そうなG・ウィリアム・M(T社CEO)をFRB議長に指名した。 しかし、Mは不幸なことにFRB議長に必要な経済・金融に関する知識、経験を持っていなかった。
彼はFRB内でイニシアティブを取れず、政策は迷走した。 Mが去った後の二代のFRB議長の下で、米国のインフレ率は激しく上昇した。
一九七大統領選挙を控えた一○月二日、K大統領はフィラデルフィア郊外での遊説中に質問に答える形で、「Bのマネタリスト的アプローチは賢明ではない」と述べたM財務長官(Bの前任のFRB議長)も、「今のFRBのやり方は、金利の変動を大きくする傾向がある。 インフレ率制御が最優先課題であることは分かっているが、もっと予測しやすい政策枠組みが必要だ」とBの量的引き締めを批判した。
CEA委員長、P報道官らも、FRBのせいで銀行の貸出金利(プライムレート)が一四%に上昇していることを問題視する発言を行っていた。 大統領選挙で対立しているL陣営はこれらの発言を捉えて、神聖なFRBの独立性を踏みにじるものと激しく批判した(もっとも、Lの側近たちは後に水面下でFRBに強く干渉するようになるが)。
一九八○年一○月四日付のニューヨークタイムズは、K陣営の発言を強く非難する識者の声を次々と掲載している。 B元FRB議長%大統領のFRB批判は残念である。
金利上昇の基本的原因はインフレ懸念の増大にある。 もしFRBが大統領のアドバイスに従って動いたら、インフレ懸念は高まり、ドルの国際的信認は低下し、金利は間違いなく急上昇するだろう。

こういったメディアの批判は大統領選挙にとって不利であるため、以降、K大統領はFRB批判を避けるようになった。 それでもKは一九八○年の選挙でLに敗れる。
K政権のスタッフだったS・Eは、Bはインフレの息の根も止めたが、「K政権の息の根も止めた」と評している。 L政権は、強力なインフレファイターであるBFRB議長をコントロールするために、FRB理事に空席ができるたびに、次々とインフレ・ハト派の理事を任命した。
一九八二年三月にP・M副議長(Lの古くからの知人)、八四年七月にM・S理事、一九八六年二月にW・E理事、M・J理事が就任している。 この時点でL派理事が理事会の過半数である四名に達していた。
Bの次の議長の座を狙っていたM副議長は、八六年二月二四日午前に開かれたFRB理事会で、Bに対してクーデターを起こす。 公定歩合を七・五%から七%へ引き下げるべきと主張し、採決を迫った。
公定歩合引き下げに賛意を表したメンバーは過半数に達し、Bは敗北した。 MはBに対して公定歩合引き下げ派に翻るように勧めたが、Bは激怒し、ホワイトハウスに辞任を示唆する。
しかし、これに政権は動揺した。 当時、ドルは不安定な状態にあり、市場の信任が高いBがこのような経緯で辞任したことが市場に広まると、国際金融危機が勃発するリスクが高かったのである。

午後に改めて投票が行われ、一人のハト派理事が引き下げ反対に回った。 その結果、午前中の投票は覆ることとなり、クーデターは失敗した。
M副議長は翌月辞任したが、もしハト派の理事が望むならば、投票でBを打ち負かすことができる状態が続いた。 さらに、Bを支えてきたH・W理事(一九七四年就任)、E・R理事(一九七九年就任)の二人が一九八六年三月に退任した。
Bは理事会において孤立した状態となった。 Bの二度目の任期は一九八七年八月までだったが、ホワイトハウスが再任の意志を示さなかったこともあって、Bは八七年六月に退任の意向を伝えている。
Gは二○代後半の若さで経済コンサルタント会社の共同社長となり、経営者としての指導力を磨き、四○代後半から五○代にかけてF政権で大統領経済諮問委員会(CEA)委員長を務め、政界での橋頭墜も築いていた。 気心の知れたJ・B財務長官G議長が利下げに踏み切ったのは、景気後退期入り一年前の八九年六月のことだった。

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